【菊竹 清訓】日本の建築家「菊竹清訓」について徹底解説!【作品/来歴/著作】
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みなさん、こんにちは。ミライ工事メディアです。
今回は日本の建築家である菊竹 清訓(きくたけ きよのり)氏をご紹介します!
来歴
菊竹 清訓(きくたけ きよのり)さんは、福岡県の久留米市出身の一級建築家です。
1944年に早稲田大学専門部工科建築学科入学、1950年に早稲田大学理工学部建築学科卒業を卒業していますが、この在学期間中に地元である久留米市の駅舎コンペで1等、広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等の獲得等、既にこの頃から才能を発揮し活躍していました。
大学を卒業後、大阪の大手建設ゼネコンである竹中工務店、1952年に村野・森建築設計事務所を経て、自身の建設会社である菊竹清訓建築設計事務所を設立しました。
菊竹さんは日本国内で開催されてきた国際博覧会にも関わりをもっており、例えば、大阪万博で知られる1970年の日本万国博覧会のランドマークとして、『エキスポタワー』という作品の設計、1975年の沖縄国際海洋博覧会では手塚治虫プロデューサーのもと、『アクアポリス』の設計を行った。他にも多くのプロジェクトに関わり、プロデューサーとしても活躍してきました。
2000年にはユーゴスラヴィア・ビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれています。
多くの素晴らしい作品を世に出してきた菊竹さんでしたが、2011年12月26日に心不全で他界されました。
菊竹清訓建築設計事務所に所属していた経歴を持つ伊東 豊雄さんは、2012年に刊行された読売新聞で「恐らくこのような狂気を秘めた建築家が今後あらわれることはないだろう」と高く評価していたそうです。
代表作品
ここからは菊竹さんの代表作を皆さんにご紹介していきます!
代表作としては『スカイハウス』『出雲大社庁の舎』『エキスポタワー』『アクアポリス』が挙げられます。他にも多くの作品を世に出していますが、今回はこれらの5つの作品に絞ってご紹介していきます!
『スカイハウス』
菊竹さんの代表作と言えば『スカイハウス』だ!という人も多そうですね!
この作品は、1958年に菊竹さん自身が設計した自宅で、地面に4本の壁柱によって浮かんでいるような独特の外見を持つ住宅です。1階部分はピロティ、2階部分が部屋となっています。
屋根はシェル構造と呼ばれている建築法で作られており、流れるような曲線美を作り出しています。
建物の部屋は10メートル×10メートルのワンルーム空間で、どの時代のどの潮流にも当てはまらない、独特な空間を生み出しています。
また、菊竹さんは「メタボリズム」(新陳代謝)という社会の変化、人口の成長に合わせて進化していく都市や建築を提案しており、このメタボリズムにある「ムーブネット」という考え方を、この作品に取り入れています。居間、食堂、寝室となる部分を「空間装置」、その周囲にある台所、浴室を「生活装置」と表現していました。特に、生活装置のことを「ムーブネット」と表現し、のちに増築された子供室は「個室ムーブネット」とされたそうです。
スカイハウスは東京都文京区大塚にあるため、興味のある方は一度見に行ってみるのも良いかもしれません。
『出雲大社庁の舎』
出雲大社庁の舎とは、菊竹さんが1963年に設計した出雲大社の境内にあった庁舎です。
鉄筋コンクリートを使用されていますが、とても「和」を感じさせてくれます。
この庁舎は、50年以上の時を経て、コンクリート本体、金属部分の劣化が進み、耐震診断といった安全確認の専門家による調査の結果、安全性が確保できないと判断され、惜しくも改築されることとなり、現在では新庁舎が建築されています。
新庁舎を建設する際、菊竹さんの「改築後の庁舎を木造にする」という提案を受け入れ、木造の庁舎へと生まれ変わりました。
現在の新庁舎の様子は出雲大社の公式ホームページから確認できますので、ぜひ一度見てみてください。同時に旧庁舎の様子も確認できます。
『エキスポタワー』
エキスポタワーは、大阪府吹田市の万博記念公園にかつて存在していた高さ127メートルの展望台です。
1970年に開催された日本万国博覧会、通称「大阪万博」のランドマークとして建設されたものです。
このエキスポタワーは菊竹さんが設計し、大成建設、大林組、鹿島建設、清水建設、竹中工務店といった数々の総合建設会社が施工を担当しました。
建物自体は高さ127メートルで、地上13層、地下3層の構造になっていました。
しかし、老朽化が激しかったことが理由で、2002年から翌年2003年にかけて解体作業が行われたため、現在では実際に見ることはできません。
当時の写真はいくつも残っているので、興味のある方はぜひ検索してみてくださいね!
ちなみに、かつてエキスポタワーが建てられていた場所には、ヤノベケンジさんがエキスポタワーの廃材を用いて作成した作品「タワー・オブ・ライフ」が置かれています。
『アクアポリス』
アクアポリスは、沖縄県国頭群本部町の国営沖縄記念公園にかつて存在した、高さ32メートルの半潜水型浮遊式海洋構造物です。
1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の日本政府出典物として建設されました。
この作品は、手塚治虫さんがプロデューサーを務め、菊竹さん、日本海洋開発産業協会が設計、そして三菱重工が施工を行いました。
半潜水型浮遊式という世界で唯一の構造を持っていたため、当時はとても注目されていました。
建物は100メートル×100メートルの海上都市で、海洋博では約200万人が施設に訪れたそうです。
海洋博が終了後、沖縄県に譲渡され、運営を続けていましたが、老朽化の影響もあり、一般人が立ち入ることが困難となってしまい、2000年には解体作業が行われました。
著作
菊竹さんは、建築物の設計だけではなく、自身の建築運動について本という形で世間に発信していました。
先ほどの『スカイハウス』をご紹介した際にも触れましたが、菊竹さんは建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとする「メタボリズム」という建築運動を、黒川紀章さんと共に提案していました。このメタボリズムに関する著書として『代謝建築論 か・かた・かたち』を出版しています。
他にも様々な建築に関する著書がありますので、興味がある方は一度読んでみるのも良いですね!
- 『代謝建築論 か・かた・かたち』(彰国社、1969年)
- 『人間の建築』(井上書院、1970年)
- 『人間の都市』(井上書院・新書、1970年)
- 『海上都市』(鹿島研究所出版会、1973年)
- 『建築のこころ』(井上書院、1973年)
- 『菊竹清訓作品と方法 1956-1970』美術出版社 1973
- 『人間の環境』井上書院 1978
- 『菊竹清訓構想と計画』編著 美術出版社 1978
- 『現代の建築家 菊竹清訓』SD編集部編 鹿島出版会 1981
- 『菊竹清訓作品集 1 (「型」の展開)』求竜堂 1990
- 『日本型建築の歴史と未来像』学生社 1992
- 『現代建築をどう読むか 日本建築シンドローム』彰国社 1993
- 『菊竹清訓作品集 4 (新世紀の建築をめざして)』求龍堂 1998
出典元:Wikipedia – 菊竹清訓 (2024/01/24), weblio辞書 – 菊竹清訓 (2024/01/24)
まとめ
いかがでしたか?今回は「菊竹清訓」さんについて徹底解説してみました。
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