プリツカー賞とは?受賞者は?|建築界のノーベル賞
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こんにちは!ミライ工事メディアです。
今回はプリツカー賞を受賞した人々についてご紹介します。
目次
プリツカー賞とは? 建築界のノーベル賞!?
そもそもプリツカー賞とはどんな賞なのでしょうか。
プリツカー賞とは、正式には ぷりつかー建築賞でであり長い歴史を持つ、
プリツカー賞は1979年にアメリカの実業家であるジェイ・プリツカーと妻のシンディによって設立されました。
「建築を通じて人類や環境に一貫した意義深い貢献をしてきた」存命の建築家を対象とする賞です。
基本的には、1年に1人表彰していて、副賞として10万ドルとブロンズのメダルが授与される。
日本人でのプリツカー賞の受賞者
受賞者を国籍別でみると、日本人8人、アメリカ8人(1名は二重国籍)、イギリス人4人、フランス3人と、日本人の受賞がアメリカと並んで最多なんです。
そんなプリツカー賞を受賞した日本人をご紹介していきます。
プリツカー賞受者① 丹下健三 1987年
丹下健三氏は世界的に有名な建築家で、「世界のタンゲ」と呼ばれています。1913年に大阪府に生まれました。第二次世界大戦後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトに携わりました。代表作に代々木体育館、すなわち1964年東京オリンピックのために建てられた国立代々木競技場があります。その他の代表作にはフジテレビ本社ビル、香川県庁舎、広島平和公園、東京都庁といった建物があります。
プリツカー賞受者② 槇 文彦 1993年
槇文彦氏は丹下健三氏の教え子ともいえる関係にあります。丹下健三氏の研究室で外務省庁舎のコンペを担当した後、アメリカに留学し建築技術を高め、有名な建築家となりました。代表作には幕張メッセ、ヒルサイドテラス、東京体育館、スパイラルがあります。
プリツカー賞受者③ 安藤忠雄 1995年
安藤忠雄氏は1941年に大阪で生まれ育ちました。シンプルで幾何学的な建築や、コンクリート打ち放しと呼ばれる斬新な建築が特徴的である建物の建築に関わっています。彼は学生時代に建築の専門教育は受けておらず、独学で当時大学で4年かけて学ぶ内容を1年で習得し、27歳のときに一級建築士となりました。
代表作には光の教会、住吉の長屋、表参道ヒルズ、秋田県立美術館があります。
プリツカー賞受者④ 妹島和世 西沢立衛 2010年
妹島和世氏は茨城県出身の建築士であり、日本人女性では唯一プリツカー賞を受賞した方であります。
代表作にはすみだ北斎美術館、中町テラス、大阪芸術大学アートサイエンス学科棟があります。
西沢 立衛は同じ設計事務所に所属しており、妹島和世と同じく受賞をした。
代表作としては、森山邸・十和田市現代美術館・豊島美術館などがある。
プリツカー賞受者⑤ 伊東豊雄 2013年
伊東豊雄氏は東京大学工学部建築学科を卒業し、菊竹 清訓氏の設計事務所での勤務を経て、1971年に独立しました。設計思想として、周囲の環境を生かすことを重視しており、美しい曲線や光を大切にするデザインで周囲と調和された革新的な建築物を作られています。受賞の一年前、2012年の時は国立競技場「基本構想国際デザインコンクール」に参加し、最終選考11作品に残りました。代表的な作品には「せんだいメディアテーク」、「シルバーハット」、「TOD’s表参道ビル」、「多摩美術大学図書館」が挙げられます。
プリツカー賞受者⑥ 坂 茂 2014年
坂茂氏は東京都出身の建築家であり、建築の在り方に対して多様なアプローチを行っている方です。安価で容易な紙を使った建築を実用化したり、世界の難民に仮設住宅を提供したりしています。東日本大震災の時は、避難所で大勢の人々が生活している際、ひとつの空間で場所を共有していることによる苦しみ、ストレスから解放するために、紙と布を使いプライバシーを確保する提案を行いました。他の地域でも、地震の被害に遭った方々を建築の観点から精神的に救うことを試みています。代表作には「スイデンテラス」、「ポンピドゥーセンター・メス」、「富士山世界遺産センター」、「紙の教会」等があります。
プリツカー賞受者⑦ 磯崎 新 2019年
磯崎新氏は大分県出身の一級建築士であり、学生時代は同じくプリツカー賞を受賞した丹下健三氏の研究室の下で指導を受けていました。磯崎氏はポストモダン建築を牽引した建築家の一人であると言われており、デザイン性を重視したポストモダン建築の設計に携わっています。また、1986年には東京都庁舎のコンペに参加し、丹下健三氏と勝負しております。当時のエピソードなどが綴られている著書「磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ」はオススメです。
磯崎氏の代表作には「北九州市立美術館」、「アートプラザ」、「なら100年開館」、「つくばセンタービル」等があります。
まとめ
今回はプリツカー賞を受賞した日本人の方々について紹介しました。
どの受賞者も建築に対する独自の意義や観念を持ち、素晴らしい建築物を設計していることが分かったかと思います。
興味のある建築物があれば訪れることをオススメします。
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