松江城の歴史・見どころについて!【城主は誰?城が減少した理由についてもご紹介】
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こんにちは。ミライ工事メディアです。
今回は松江城について紹介します。
目次
松江城とは
松江城は島根県にある江戸時代に建てられた城です。
現存12天守のうちの一つであり、現在は国宝に指定されています。
現存12天守とは?
12天守についてはご存知でしょうか。
天守は城の象徴ともいえるような部分であり、城の中でも遠くを見渡せる、高い位置に建てられています。
日本には現存する、天守を持つ城が12城あります。
これらの城をまとめて「現存12天守」といいます。
12天守は以下の通りです。
城名 | 所在地 |
弘前城 | 青森県 |
松本城 | 長野県 |
丸岡城 | 福井県 |
犬山城 | 愛知県 |
彦根城 | 滋賀県 |
姫路城 | 愛媛県 |
松江城 | 島根県 |
備中松山城 | 岡山県 |
丸亀城 | 香川県 |
伊予松山城 | 愛媛県 |
宇和島城 | 愛媛県 |
高知城 | 高知県 |
このうち、国宝に指定されている城は松本城、犬山城、彦根城、姫路城、そして松江城です。
また、彦根城、姫路城については過去のミライ工事メディアで紹介しています!
気になった方はそちらもご覧ください。
城はなぜ減少した?
城の数は一番多かった時期に全国170箇所はあったともいわれています。
ですが、現代で形として残っている数は12城しかありません。
これには大きく3つの理由が考えられています。
城が減少した理由①一国一城令
一国一城令は1615年に徳川家康が制定した法令です。
名前の通り、一国(大名が取り締まっている領域)には一城しか置いてはならないという法令です。
これにより大名が住んでいた城以外の、領国にある城は取り壊されていきました。
結果として軍事力の低下、領国内での大名の権威が向上したと言われています。
城が減少した理由②廃城令
廃城令は時代が変わって、明治6年に幕府から発せられた法令です。
正式名称を「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」といいます。
なぜこの城令が出されたかというと、廃藩置県が挙げられます。
明治維新によって廃藩置県が行われた後、全国にあった城は存続させるべきか、廃城すべきかという議論がありました。
結果として、価値を認められなかった城は廃城される形になりました。
城が減少した理由③第二次世界大戦
3つ目の理由は第二次世界大戦による戦災です。
特に太平洋戦争が大きな被害をもたらし、空襲による爆撃や火災の被害に遭った城は焼失してしまいました。
このように江戸、明治、昭和と城が無くなる危機はどの時代にもありました。
これらの危機を回避し、残っている城が現存12天守なのです。
松江城の歴史
松江城を建てた人物や、現在までの歴史について紹介します。
松江城はなぜ建てられた?城主は誰?
松江城の初代城主は堀尾忠晴です。堀尾忠晴は後に解説する堀尾吉晴の孫です。
松江城は元々、広瀬に築かれていた城地を移す目的で建てられました。
松江の初代藩主、堀尾忠氏の父である堀尾吉晴が大きな役割を果たしています。
堀尾吉晴は豊臣秀吉、徳川家康と2人の天下人に仕えたことがあり、豊臣政権下では三中老の一人として功績を残しています。
息子の忠氏の死去後、6歳で当主となった孫の忠晴を助けながら松江城と城下町を建設しました。
松江城の藩主について
堀尾忠晴の死後、松江城は京極忠高が跡を継ぎました。
しかし忠高は3年ほどで亡くなってしまい、死後は松平直政が跡を継ぎ、松江藩を治めました。
堀尾氏→京極氏→松平氏により松江城は保たれていました。
廃城令、第二次世界大戦を乗り越える
松江城は1875年、廃城令が下ってしまいます。これにより城の一部が取り壊され売り払われていきましたが、地元の富裕農家や旧藩士の努力もあり、買い戻されました。
また、第二次世界大戦では松江城は運よく爆撃から免れることができ、消滅の危機を回避しました。
その後1950年に大解体修理が行われ、2015年には国宝指定されました。
松江城の魅力
現存する城についての歴史・価値を紹介したので、ここからは松江城の魅力に迫っていきます。
松江城は12天守の中でも広さ2位、高さ3位の城です。
そのため近くで見ると落ち着いた佇まいであるにもかかわらず、壮大な雰囲気を感じられます。
外観は漆などを混ぜた染料による黒い壁が多く、威厳を感じられます。
また、城の入り口前には上を向いた堀尾吉晴の像が建っています。
現地には武士の装束をしたガイドさんもおり、利用すると雰囲気も味わえ、観光をより楽しむことができます。
まとめ
今回は国宝、松江城についてまとめました。
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